投げていいのはボールだけ

このあいだDVDで「トリュフォーの思春期」を見ていたら、話の後半で、小学校の生徒が親から虐待を受けていたのが発覚して、それについて若い先生が自分の意見を述べるシーンがあった。
 先生は子どもたちに向き合い教壇に腰をかけてこんな風に語った。
 「子どもには自分の意志で行動する自由がない。大人ならば自分の居場所が嫌なときに自由に環境を変えることもできるし、行動を起こせば制度を変えることも可能だ。子どもには選挙権がないので政治家は子どもを尊重しないのだ。どうか子どもを愛する大人になってほしい。子どもを愛する大人は子どもからも愛されるはずだ。」(筆者要約=かなり端折っています)
 ともすると感情に流されそうなところを子どもとは社会においてどのような存在なのかを政治性もからめてズバリ言い当てていて印象的な場面だった。子どもはかわいいだけの大人の付属物ではないというわけだ。子どもであれ自由と権利を求めるところがフランス的だ。

 話は離れるが、自分自身の小学校のとき先生に言われた言葉をちょっと思い出してみた。

「投げていいのはボールだけ」

 これは小学校3年生のときに担任の先生が言った言葉。フレーズの響きも内容も非常に明解なので良く覚えている。この言葉の優れているところは、小学生時代は読んで字のごとく、モノを投げたりしちゃ危ないんだとか、モノを丁寧に扱わなきゃとか、どちらかというと躾の意味合いでとらえていたのだが、だんだん大人になってくると自分の仕事や成すべきことを途中で投げ出したりしちゃいけないんだという人生訓みたいなものに意味合いが変化するところだ。学校を出てもなお活き続けるなんて、いい言葉だなあと思う。

 それと中学3年の最後の成績表で「青春時代を大切にして下さい」とコメント欄に書いてあったのを覚えている。
 何となく気恥ずかしい感じのフレーズだが無口な担任教師だったので(こちらも無愛想な生徒だったと思う)それも成績表だなんて、ドキッとさせられた。これも忘れられない言葉だ。

 学校で学習したことなんて申し訳ないけど多くを既に忘れてしまった。けど、こうゆう素敵な言葉はいつまでも残る。人生の路を照らしてくれる緑のライトのようだ。