エンブレム問題について
東京五輪エンブレム問題で世間が騒がしい。
僕もグラフィックデザイン・ファンとして黙っていられないものがある。
まずあのエンブレムに関しては、パクリではないと思っている。
少なくとも、ベルギーの劇場のパクリではないだろう。
ではオリジナルなのかと言われれば、う〜ん…。
難しい問題だ。オリジナリティの極めて低いオリジナル作品のような気がしている。
そもそもデザイナーやイラストレーターというのは膨大な数の他者の作品を見て勉強するものなので、インスパイアされたものは知らず知らずのうちに吸収され、いざというときにカタチとして現れてくることがあるからだ。
件のエンブレムは(個人的にはカッコイイとは思わないが)本体そのものよりも、タイポグラフィとしての展開とパラリンピック・エンブレムとの組み合わせ方に意味があった気がしている。いいとも思わないが、何もそこまでこき下ろさなくていいじゃないか。
だいたい僕はどんな形であれ、戦っている人のことを安全な場所からよってたかって非難攻撃する連中が大嫌いなのだ。
今回のことで一番痛感したのは、インターネットの怖さだ。
といってもそれは、不特定多数のネット民からの個人攻撃のことではない。
インターネットという共有のデータベースを手にしてしまって以降、クリエーターの個性が昔よりもどんどん薄まっているんじゃないだろうかということだ。(考え過ぎだろうか)
一昔前はテレビが登場したとき、一億総白痴化ということを唱えた評論家がいた程その洗脳力は計り知れない。
それが今やインターネットに移行して誰でもどこでも、居ながらにして世界の情報にアクセスしたり、発表できるようになった。クリエーターにとっては、想像力を振り絞る前に、効率よく評価が得られるパターンに流されてしまう。これじゃ、本来もっている頭脳と身体がスポイルされてしまうだろう。
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そう言う僕もインターネットを利用しない日はないというほど、ほぼ毎日インターネットに情報を求めている。
逆説的な言い方になるが、これからの世の中で新しいものを生み出せる人は、インターネットなんてまったく見ない人の中から出てくる。そんな気さえするのだ。