林子平の『海国兵談』を思い出す

「江戸の日本橋より唐、阿蘭陀迄境なしの水路也」
これって聞いた事ありますか?
高校の日本史で習った林子平の『海国兵談』という史料の中の一文なんだけど、ご存じないという方のために適当に解説してみると(高校時代の教師の授業を思い出しながら述べてみます。専門家ではないので細かい間違い等はご容赦ください)

「(日本は四方を海に囲まれた島国であるから諸外国に侵略れないように海の周囲をちゃんと警戒しないといけない)江戸の日本橋から、唐(中国)、オランダまでは遮るもののない水路なのだから。」という風になる。この「江戸の日本橋より唐、阿蘭陀迄境なしの水路也」というところが視覚的に愉快な表現なので未だにわすれることができないでいる。

江戸時代末期の日本はご存知のように大変な危機的状況。そこで長崎帰りで世界情勢を学んできた林子平さんが『海国兵談』を出版して外国からの侵略に備えて海防を強化しようと人々に呼びかけたわけだ。今考えれば、まあ当然の危機管理として十分理解できるけれど、当時の一般庶民はそれを理解することはできなかった。彼らにとってまず国とは藩のことで世界とはせいぜい日本のこと、海の向こうの外国が攻めてきて日本がやられるなんてうまく想像できなかったし、何年も平和な時代がつづいていたので”危機が迫ってる”ような気がしなかったのだろう。このあと林子平さんは危険人物的な扱いをうけ幕府に捕まり、『海国兵談』も出版禁止にさせられてしまうのだけど、いつの時代も民衆の不安を煽るような情報はたとえそれが真実だとしても指導者たちの歓迎するところではないらしい。林子平の死後数ヶ月して彼の想定どおりにロシアが南下して通商を要求してきたり、黒船がやってきてからの幕府の慌てぶりは教科書にも記されているとおりだ。

狭い範囲でしか物事を考えられなかった当時、林子平は世界の情勢をより早くキャッチして広い視点から自ら考え、危機に備えようとしていたのだ。言うなればちゃんと日本の未来のことを考えていたのだと思う。

時はかわって現代はいっそう複雑怪奇な時代になった。一体何が真実なのか判断することはとても難しいけど、自分の手足で前に進まねばと最近改めて感じる。洪水のように流される情報に飲み込まれないように。