成人の日に想う

 聞くところによると、成人式は地元の友達に再会できて楽しいらしい。女の子は振り袖を着られるし、親御さんにしてみれば我が子が無事に20歳になったことを祝い晴れ姿を見られる。そうゆう意味で成人式は生涯一度しかない同窓会であり、大人の七五三のような役割も果たしているのだろう。

 でも、20歳の誕生日を向かえたからといって、あるいは成人式に出席したからといって、そのタイミングで人が大人になるということはないと思う。

 僕は36歳だけどその辺の実感を少しづつ感じ始めたところだ。
30歳を過ぎた頃、アパートを借りようとして不動産屋さんに行ったとき、勤めている会社の社員証と収入を証明するものと保証人の印鑑を持ってきてくださいと言われた。その時ふっと、ああこれからはただ好き勝手にやっているだけじゃダメなんだな、意地を張ってもしょうがないのだと、いい意味での諦めのようなものができた。そして何故だか大人の世界に片足の指の先ぐらいは踏み入れたかなと思えたのだった。


 大人って一体なんだろう。僕は自問する。

 経済的自立のことかな。確かに、ちゃんと仕事をして税金をしっかり納めて生活している人は強い。これには文句の言いよう様もない。人は経済的自立を得ることで社会からの承認を得るだろうし、それがあってはじめて「自由」という概念も生きてくる。

 それから、結婚して家庭を持つと一人前だなんて言う場合もある。子どもを産み育てることもひとつの尊い役割だと僕は思う。

 しかしだからといって、それらが全てではなという気もする。

 今はまだうまく言えないけど、大人になるということは、人生の通過点やどこかの到達点へ辿り着くことというよりも、むしろその路の歩き方のことなんじゃないかと漠然としたイメージをもっている。