台湾旅行から9条のことまで

 あれは確か僕が高校二年生のころ。
 家族旅行で台湾に行ったことがあった。生まれて初めてパスポートというものを作って出かけた場所で、当時は台湾と中国の違いもよく解っていなかったのに、ただわくわくしていた。

 一緒に行った祖父が他界する前だったこともあり、そんなことも思い出に残っている。故宮博物館では今まで知っている日本のものとは桁違いのスケールに驚いた。夜店のにぎやかな喧噪と中国料理のおいしさ、中国医学の診療を体験したりと、記憶は鮮明に残っている。でも、この旅行で一番忘れられないのは、流暢な日本語を話す初老の台湾人男性のガイドさん、彼がバスの中で言った言葉だ。
 こんなふうに言っていた。(あくまでも記憶の中なので本人の発言そのものではない)
「台湾には徴兵制度がある。期間は1年だが、若者はここで規律を学び、精神と肉体を鍛え、国を守る気概を身につける。私は戦争には反対だが徴兵制度には賛成する。」
それは、ともすると当時、無気力で平和ぼけなどと言われていた日本(の若者)に対して向けられた言葉のようにも聞こえた。そのガイドの人がどのようなつもりでそう発言したのか真意は解らないが、それこそぼーっとした高校生だった僕は、そうか日本の若者は覇気がないから徴兵制度をやった方がいいのかしらと本気で思ったりもした。それ以来、徴兵制度や軍のことについても自分側のこととして真剣に考えるようになった。

 軍とは一体何なのだろうか?
何も知らない僕がこの場で戦争や軍隊のことを語ることは不可能だ。でも軍とは戦闘能力を持った集団であることには異論はないだろう。
 いささか短絡的な言い方をすれば、人殺しの技術を身につけることを前提として成立しているのではないだろうか?。少なくとも友達をつくったり体を鍛えるために入る場所じゃない。恐ろしいのは、集団に入るとその人殺しが悪いことじゃないような気がしてくることと、そこの板挟みで若者が精神的に荒廃していくことだと思う。さらに暴力というものはやればやる程エスカレートしていく性質があると想像する。

 僕が生まれたのは1976年なので高度経済成長も安定に入った頃、そして平和な時代に生まれてきたことに今では感謝している。一度も戦争を経験したことがないというのは日本という国に生まれてきたことに誇りを抱ける数少ないことの一つであり、その中のトップではないだろうか。

 日本国憲法第9条は戦後の日本が経済成長を遂げ平和を実現する中で、エスカレートする暴力性に歯止めをかけてきた。迷ったときにもう一度初心に立ち戻らせてくれたわけだ。
 自衛隊の存在矛盾を云々言う人もわかるが、その整合性を正すために9条を改正することは特に今は危険だ。なぜなら論理や思想の裏付けのある行動程強いものはなく、その威力は正にも負にも働く。ねじれや矛盾がほどけたときにその太い力の歯車は誰にも止められないものになるからだ。今この国は行動を正当化するために論理の書き換えを行おうとしていて恐ろしさを覚える。人間で言えば脳のプログラムを書き換えてまるで別人にしてしまおうということと同じだ。いずれ肉体が拒否反応を起こし壊れてしまうだろう。
 矛盾やねじれと折り合いをつけつつ日本という国を推進させていくことの方がどれだけ希望があることだろうか。