「多くの教科必要なのか」中学生からの問いかけ 中

 中学生に多くの教科を学ぶ意義を説明するの難しいですね。
なぜ学ばなくてはならないのか、そこに意味はあるのかってあんまり考え過ぎると実存の迷宮に入り込んでしまいます。
 引き続き読者の投稿を読んでいろいろ考えてみたいと思います。

◇苦手な教科こなせば光 8月19日
会社員 岩野真裕子27(東京都杉並区)


 7月30日付け本欄「多くの教科必要なのか」の中学生さん、毎日たくさんの勉強をして大変ですね。
 私も国語は得意でしたが、数学は苦手でした。しかし「将来の肥やしとならない」と思うのは早すぎます。中学生であるあなたの将来は無限大。何の仕事に就くかまだ分かりません。数学や理科にかかわる職業に就くかもしれませんよ。
 中学で習うことは、あなたの生活のいろいろなことと密接に関連しています。食塩水の重さ=濃度の勉強は料理に味をつけたり、漬け物を作るときに役立ちます。
 「苦手な教科、たくさんある勉強を頑張ってこなす」こと自体、既にあなたの将来の肥やしになっています。大きくなって困難に立ち向かう訓練というわけです。
 頑張るあなたにエールを送りたいと思います。

 20代女性(たぶん)からの投稿がありました。
 食塩水の計算が料理に役立つとか、苦手科目を頑張ることが困難に立ち向かう訓練になるという意見には僕には首肯できないのですが、「将来の肥やしとならない」と思うのは早すぎるのは確かにその通りだと思います。中学生になると、自分の将来の進路のことを誰しも考えるのではないでしょうか。やがては専門的なスキルや知識を身に付けて社会に出て行く時が来ます。早い段階で自分の将来の夢を描くことはとてもいいことなのですが、だからといって学習科目を限定しすぎると一見プロフェッショナルへの近道のようですが、結局は視野が狭くなり自分自身の成長を阻んでしまうのではないでしょうか。例えばこれは今考えた例なのですが、トンネルや橋や鉄道などをつくるエンジニアは日本を代表する工学系のエキスパートなのですが、もし外国から設計と施工を受注された場合その国の言語はもちろん歴史文化宗教を理解して現地の人たちと心をかよわせないと仕事を遂行することはできないでしょう。それに途中で進路の方向性が変わっても(よくあることです)基本の学習が豊富であれば、うまい具合に方向転換できます。高い山は裾野が広いように、磐石な土台を拵えることが大事だと、偉そうですが僕は思うのです。
つづく