「多くの教科必要なのか」中学生からの問いかけ 下

 一人の中学生の純粋な問いかけが大きな広がりをみせています。それだけ多くの人が学生時代の勉強やその後の人生に様々な思いを抱いているのでしょう。

◇勉強をして豊かな人に 8月20日
無職 岡本昭子69(さいたま市桜区)


 7月30日付け本欄「多くの教科必要なのか」との中学生からの問いに対して、40代の男性、20代の女性から温かく、そして適切なメッセージがあり、ほのぼのとした嬉しさを感じました。このことは多くの中学生の眼に留まっていることと思います。
 3月19日の紙面で、81歳の女性が往復4時間をかけて夜間中学に通い、若い仲間と一緒に卒業したという記事を読み、感動しました。家庭の事情で勉学を果たせなかったそうで、78歳で夜間中学の存在を知り入学したそうです。「分数の計算が理解でき、看板の英語が読めるようになるのが楽しかった」とのことでした。私も54年前、15歳の中学生でしたが、今痛切に思うことは、もっと一生懸命勉強しておけばよかったということです。
 世界には、学校に行きたいのに果たせない子どもたちが大勢います。役に立つから勉強するのではなく、いろいろな知識を身につけて、広い心をもった豊かな人間になって下さい。

◇数学や理科向き合おう 8月27日
無職 有馬安俊60(埼玉県新座市


「多くの教科必要なのか」(7月30日付け本欄)という中学生の素朴な疑問の投稿がありました。このように考えてみてはどうでしょうか。
 学校で学ぶ科目の中には、生活していく上で必要な知識を学ぶものだけでなく、物事の考え方や捉え方を学ぶもの、人間としての教養や魅力を身につけるために学ぶものなどさまざまな目的があります。
 数学や理科では将来、仕事はもちろん、社会生活をする上で必要な論理的考え方を学べるように思います。
 世の中には「不用の用」といって、一見なくてもいいようなものでも、必要なものがたくさんあります。極論すると、世の中に存在している全てのものが何らかの意味を持って存在しているように思います。
 今、学校で学んでいることは「将来に役立つかもしれない」と思って、向き合ってみましょう。その姿勢に意味があるように思います。


 比較的年配の方からの貴重な投稿です。
なるほど、学校で学ぶ勉強というのは何も将来の就職や金銭的な成功を収めるためだけではないと言うのがよく分かります。
 80歳を過ぎてから夜間中学で分数や英語を学んだからと言ってこれから希望の道に就職したり、給料がアップするということはありません。ましてやそれが生存に必須とも考えられません。 読めなかった字が読めるようになったり、できなかった計算ができるようになるということは人にとって「学び」の純粋な喜びであり、豊かに人間性を向上させていくのでしょう。

◇まとめ
 いろいろな人の意見を読むと、中学の時点で多くの教科を学ぶ意義は十分あるということですが、僕も同意見です。中学生が苦手な理数系の科目なんて、こうして眺めてみると現代社会のあらゆる産業や領域でそれが関わっていないものを探すのは困難です。同時にそれは人間がまだ解明できていない「自然」を探求する有効な方法でもあります。新しい発見や発明が日夜たくさん生まれて世の中を潤しています。でもそんなこと中学生の段階で身に染みて分かっている人はあんまりいないでしょう。「多くの教科を勉強して良かった」とか「やっぱりこんなに多くの教科を勉強する意味はなかったよ」などと気づくようになるのはだいぶ後のことですから。
 言い方は悪いけど、中学の勉強は(成績が良いに越したことはないけど)落ちこぼれない程度にできればいいと僕は思います。実際、成績が悪いと周りにいろいろ言われたりして学校生活そのものがつまらなくなってしまいます。勉強は嫌でもそこそここなした上で(あるいは全教科100点を取った上で)心置きなく自分の好きなことに熱中する。それが理想的な中学生のスタイルだという気がします。(完)