大和田常務はなぜ「東京物語」を観ていたのか

 最高視聴率40パーセント超の人気ドラマ「半沢直樹」。
我が家にはテレビがないので普段は観られないが、インターネットに動画がころがっていたので、この最終話を視聴してみた。 日本人が一番好きな仇討ちものをメインストーリーに取り入れて、相手がどんなに偉い上司でも決して怯まず、それまで劣勢に立っていた主人公が最後は悪事の証拠を掴んでやっつけるところが、面白いのだなと思った。ドラマの大きなくくりは「忠臣蔵」+「水戸黄門」のようなお茶の間で非常に馴染みのある枠組みを取り入れているが、主人公がサラリーマンなので現実社会とのリンクするところもあったり、こんなわけねぇよって突っ込んでみたりする楽しみもあった。それにプラスして香川照之市川中車)、片岡愛之助など歌舞伎でも活躍する濃いめの役者が重要な役どころを占めているためか、テレビ画面から歌舞伎っぽさが伝わってくると感じたのは僕だけか?主役の半沢直樹のどアップで額の半分が切れる位までカメラが寄ったところで決め台詞の「倍返しだ!!」を発するくだりは歌舞伎の「観得(みえ)」そのものだし、敵役との一対一の間のとり方や、土下座シーンの身体の緊張感やオーバーアクションな立ち振る舞いが象徴的だ。
 最終話の中盤、それまで悪役たっぷりな芝居を見せてくれた大和田常務が自宅のリビングでくつろいで何やらテレビを観ているシーンが出てくる。よーく見るとなんと小津安二郎の「東京物語」を観ているではないか。どこか悲しみのある表情で「東京物語」を観ている大和田、とそこに大和田の妻が登場し「100万円用意しといてね」って軽い感じで金をせびる。すると大和田の表情はもう何もかもが嫌になったよといった感じに一変する。この瞬間に初めて視聴者は大和田に感情移入したんじゃないだろうか。

ではなぜ「東京物語」を観ていたのだろうか?

 大和田邸の豪華なインテリアにムーディーの間接照明、その中で白黒映像の古い日本映画はいかにも違和感がある。従来の大和田のキャラクターと「東京物語」はどうしても結び付かないのだ。仮に彼が映画ファンだったとしても、「駅馬車」とか「荒野の決闘」だったら何となく判る。「東京物語」は微妙なラインだ。でも、このギャップこそが演出家の狙いであることに間違いはない。憎たらしい大和田に名作「東京物語」を観させることで、彼の人間性の片鱗をのぞかせようとしのではないか。 もっと深く読むと「東京物語」のテーマである家族の崩壊や無常観を表現しいるのかもしれない。大和田にも父母があって家族があった。少年はやがて成長し難関を突破して銀行員になった。国家のため銀行のために一生懸命働いてきただけなのだ、そのお蔭で今では常務にまで上り詰め権力を手に入れた。周囲は自分を持ち上げる。でも、それが何だ。そんなものはやがては過ぎ去っていく。最後には何も残らないじゃないか。俺は孤独なのか。
 そんな大和田常務の悲しみが伝わってくる。