ブレイキング・バッド

 米ドラマ「ブレイキング・バッド」を動画配信サービスのHULUで見た。

全5シーズン62話を3週間弱で一気に視聴してしまった。べらぼうに面白いのだ。

 最初にシーズン1を通しで視聴した直後、それなりに面白いドラマだと感じたが、この程度の内容でシーズン5までネタ切れしないのかなあと不安になった。でも、そんなものはまった無用の心配に過ぎず、物語は回を重ねるごとに面白さが増していった。一つ一つのエピソードがまるでパズルのピースをランダムに埋めていくように、クライマックスでは過去、現在、未来が見事に繋がって、一つのイメージが完成した。
 本国では1000万人以上が視聴したという大ヒットドラマらしいが、日本のメディアではそれほど話題になっていない気がする。
 高校の化学の教師が副業で覚せい剤を作ちゃうという物語なので、我が国ではこれはアウトなのだろうか。
まずはザックリと筋を追ってみたい。
【ネタバレあり!】
 あらすじ:主人公ウォルター・ホワイトは薄給の高校教師。家族を養うために洗車場でアルバイトの掛け持ちもしている。学校では生徒に慕われているわけでもなし、バイト先では上司にこき下ろされて、自尊心もズタズタにされる毎日。
 そんなある日、彼は末期癌で余命も僅かであると医師から宣告されてしまう。
 住宅ローンや幼い子供たちの大学の費用や残された家族の生活費などの心配が頭をよぎる。それと同時に、自分の人生に言い知れぬ敗北感、劣等感が沸き上がってくるのだった。なんとかしなくてはならない。そんなときウォルターは、義弟で麻薬捜査官(DEA)のハンクに付き添って覚せい剤の精製の現場検証に同行することになった。もともと化学のエキスパートだった彼はそれを見た途端、自分だったらもっと高品質のメタンフェタミン(=覚せい剤、メス)が作れるということに気づいたのだ。これしかない!。ウォルターは誰にも内緒の副業を始めようとする。ところが、販売の知識は持ってないので、高校の元教え子で売人のジェシー・ピンクマンを誘って、彼と二人で同盟を交わし、キャンピングカーの中でメスの製造を開始するのだった。
 はじめは家族に僅かでも財産を残すために始めたメスの製造だったが、ウォルターの作るメスがあまりにも高純度、高品質だったため、市場を席巻してしまう。さらなる販路の拡大を模索するなかで、闇の世界での抗争に巻き込まれ、彼自身と家族までも様々な危険にまき添えにされていくのだった。それでも、持ち前の頭脳と強運でなんとか危機を乗り越えていくウォルターは表社会ではちょっと冴えないけど子煩悩な父親、しかし一歩裏社会に入れば、自らを「ハイゼンベルグ」と名乗り、麻薬市場を牛耳る存在にまで登りつめるのだった。



 一見突飛なようだが、この物語は現代アメリカ社会の(ひいては現代日本社会に通じる)問題点をいちいち網羅しているような気がしている。市民の貧困、ドラッグの蔓延、とてもじゃないけど支払えない医療費そして教育費の問題などがベースにあるので視聴者の気持ちを惹きつけるにはこれだけでも十分だ。さらに物語が佳境を迎えるにしたがって一介の善良な市民がいかに「悪」(と呼ばれるもの)へと変貌していくのかが複雑に描かれているのが見どころとなっている。

 ではその「悪」の元となったもの(違う言い方をすればこのドラマの最も面白いと感じたポイント)は何なのか自分なりに考えてみた。
 それは、どうしょうもなく冴えない一般人ウォルター・ホワイトが抱く強烈な「劣等感」にあると思う。
「大学の同期で共に起業した友人は今では億万長者になっている。俺の方が優秀なのに何で俺は社会でこんなにも冷遇されているのだ」という高いプライドから来る「劣等感」だ。程度の差こそあれ誰しもが感じたことがある普遍的な感情だが、彼は劣等感を克服するために、違法な手段で山の頂を目指し、それを隠すために嘘をかさね、保身のために他者を抹殺していくことになる。
 徐々に道を踏み外していく主人公にも家族があり、人間性がある。こちら側が感情移入して、「その気持わかるぞ。いいぞ。がんばれ!」って共感したり、「それはちょっと悪すぎだろう」と共感できない部分もある。その共感ー非共感の分かれ目は人それぞれの感じ方で変わってくる。

 実に皮肉なことに、表社会での平穏な暮らしのときの何かつまらなそうな表情と打って変わって、裏社会での彼は戦っている男の顔つき、活き活きとした表情になっていった。自分のやりがい(得意なこと)で莫大な富を得るということは、たとえそれが違法行為であっても一人の人間にこんなにも充実感を与えるのかと複雑な気持ちにもなる。

 これだけ悪いことして、人も殺しまくっても、それでもメスを製造することに「生きている」実感を感じたと告白するウォルターを、視聴者としての僕は全否定することができず、最後には彼の人生はこれで良かったのかもしれないとさえ思ってしまった。
 日常のモラルを軽々と超越したフィクションの力強さに打ち震えました。